本文ここから

守りぬこうこのなんでもないしあわせ~西東京市で紡がれた茨木のり子平和の言葉~

ページ番号 695-876-318

最終更新日 2025年8月18日

ひらりとキャッチ 明日への橋わたし 歴史を織るのは私たち

終戦80年の今年、西東京市に48年間暮し、創作活動を続けた詩人茨木のり子の企画展を実施します。

詩人 茨木のり子とは

1926年大阪生まれ。愛知県西尾市で育ち、医師である父のもとで、恵まれた環境で少女時代を過ごしました。


高等女学校3年生のとき、太平洋戦争が勃発。優秀だった彼女は中隊長に選ばれ、学校教練で全校生に号令をかける「軍国少女」でした。卒業後に上京、帝国女子医学薬学専門学校(現 東邦大学)に進学し、二十歳のころ終戦を迎えます。
読書好きだった彼女は、薬学よりも文学に惹かれ、在学中に読売戯曲コンクールで佳作入選となったことが契機で、文学への道を進みます。その後、戯曲から詩に転じ、1953年に詩人川崎洋かわさきひろしと詩誌「かい」を創設。谷川俊太郎たにかわしゅんたろう大岡信おおおかまことなどを仲間に迎え、日常の言葉を使って深い内容を伝える詩を発表していきます。
1958年には、西東京市(当時は旧保谷市)東伏見に家を建て、2006年に79歳で亡くなるまで、48年間暮らし続けました。


茨木のり子は、戦争への反省から、感受性を磨き、物事に関心を持ち、日々の暮しを大切にすることが平和につながると考え、自分自身と社会と<対話>しながら詩作を続けました。
わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」「倚りかからず」等中学高校の教科書に掲載される詩も多く、「現代詩の長女」とも言われる戦後を代表する詩人のひとりです。


茨木のり子さん

企画展開催概要

茨木のり子の詩や遺した言葉を通して、何気ない日常の中にある平和の大切さと、その対極にある戦争について考えてみませんか。彼女の足跡をたどる略歴年譜や詩のパネル展示のほか、詩人ではなく一人の女性としての「茨木のり子」の素顔にも迫ります。




企画展 守りぬこうこのなんでもないしあわせ~西東京市で紡がれた茨木のり子平和の言葉~

開催期間 9月13日(土曜日)から11月16日(日曜日) ※月・火曜日休室
開催場所 西東京市郷土資料室(西東京市西原町4-5-6)
開室時間 午前10時から午後5時まで
共催 茨木のり子の家を残したい会

イベント情報

合唱

女声2部合唱「茨木のり子の歌うたい隊」がオリジナル曲をお聞かせします。
9月20日(土曜日)11時~

朗読会

長編詩「りゅうりぇんれんの物語」他、平和への思いを伝える詩を朗読します。
10月19日(日曜日)14時~
11月7日(金曜日)14時~

音楽童話

茨木のり子、生涯ただ一つの絵本「貝の子プチキュー」を音楽と共に朗読します。
10月19日(日曜日)11時~



※いずれの会場も西東京市郷土資料室を予定しています。
※事前の申し込みは不要です。
※駐車場には限りがあります。公共交通機関をご利用ください。

お問い合わせ

このページは、地域学習推進課が担当しています。

田無第二庁舎 〒188-8666 西東京市南町五丁目6番13号

電話:042-420-2831

ファクス:042-420-2891

お問い合わせフォームを利用する

本文ここまで